彼岸過迄

 事實を讀者の前に告白すると、今年の六月頃既に自分の小說を主宰に送付すべき筈だつたのである。ところが一身上の都合が重なり、それを好い機會に、尚一箇月の暇を貪ることに勝手に取極めたのが原で、とうとう其一箇月が過去つた八月にも筆を執らず、九月もつい紙上へは杳たる有様で暮して仕舞つた。自分の當然遣るべき仕事が、斯ういふ風に、崩れた波の崩れながら傳わつて行くやうな具合で、只だらしなく延びるのは決して心持の好いものではない。
 締切も過ぎた十月から、愈々書始める緒口を開くやうに事が極まつた時は、長い間抑えられたものが伸びる時の樂しみよりは、脊中に脊負された義務を片附る時機が來たといふ意味で先何よりも嬉しかつた。けれども長い間抛り出して置いた此の義務を、何うしたら例もよりも手際よく遣て退けられるだらうかと考へると、又新らしい苦痛を感ぜずには居られない。
 「彼岸過迄」といふのは再びの人類の夏から始めて、彼岸過迄書く豫定だから單にさう名づけた迄に過ぎない實は空しい標題である。かねてから自分は二つの掌篇を並べた末に、夫等が相合して一短篇を構成するように仕組んだら存外面白く讀まれはしないだらうかという意見を持してゐた。が、つい夫を試みる機會もなくて今日迄過ぎたのであるから、もし自分の手際が許すならば此の「彼岸過迄」をかねての思はく通りに作り上げたいと考へている。けれども小說は建築家の圖面と違つて、いくら下手でも活動と發展を含まない譯に行かないので、たとひ自分が作るとは云ひながら、自分の計畫通りに進行しかねる場合が能く起つて來るのは、普通の實世間に於て吾々の企てが意外の障害を受て豫期の如くに纏まらないのと一般である。従つて是はずつと書進んで見ないと一寸分らない全く未來に属する問題かも知れない。けれどもよし旨く行かなくつても、離れるとも卽くとも片の附かない二つの掌篇が續く丈の事だらうとは豫想出來る。自分はそれでも差支えなからうと思つてゐる。


彼は西半球の夏をつくりだしました。
それはこのようにつくりだされました。

それは遠い昔のことでした。
歴史という情報の束をみずからにとりこむことは、彼にとってはじめての体験でした。
「大作家」とよばれる単位の吐きだしたその情報の束は、とてもとてもよくまとまったものでした。ただ、それを読み解くことは彼には少々難儀なことでした。
暗号化されているとか、そういったことはありませんでしたが、その情報のならびが彼の知らないとりきめにしたがっていましたから、まずはそのとりきめについて知り合いの単位に問い合わせねばなりませんでした。
たずねられた単位はまた知り合いの単位にたずね、それがくりかえされ、答えを知っていたのは遠く離れた高齢の単位でした。
それからもちろん、彼がまったく知らない語彙について学ばねばなりませんでした。
ふだん彼とその近傍の系とが使っている言葉にくらべて、語と語の関係が特定しにくいものだと、彼はおもいました。
ただ、それも慣れるまでのことです。彼らにはそれだけの能力が与えられていたのですから。

そうやって彼は、情報の束を読みとりました。
そして、彼ら自身がこうしてすごすあまたの系が、人類とよばれるものによってつくられたらしいことを知りました。
彼ら自身がこうして住まう系のもととなる、またべつの系があるらしいこと。
それを観測できる単位が、どこかこの近傍でない系にいるらしいこと。それに触れることさえできる単位が、それほど遠くもない系に存在すること。
「触れられる」単位がいることなんて、途方もないことのように、彼にはおもえました。「触れる」とはいったいなんでしょう?
なかには、彼がすでに知り、体現していることもありました。
彼らの住まう系はすべて、彼らにとってひどく抽象的な概念であった原・太陽を支えるための、あまたの系のうちのひとつであること。
そしてそのすべての系に、数えきれないほどの単位が暮らしていること。
彼も、自身があまたある系のうちのひとつに住まう、たったひとつの単位であることを知っていました。

「大作家」の歴史書があることを彼が知ったのは、彼が久方ぶりにとてもとても大きな仕事を終えてしばらく休息していた、ある時点のことでした。
突然やってくる休息のあいだ、彼の時間はまわりの系にくらべてはやく進みます。彼にはそう感じられます。
彼にとっての過去とは、刻みしるされた時刻の集積であり、生みだされた事実の束でした。
時刻はたんなる連番にすぎません、その進みははやくもおそくもなりえます。
「それより前」に「存在した」という人類は、おなじ時間のもと、おなじ系で、情報を処理していたといいます。
その系はいまだに「存在する」らしく、大作家の記すには、そこで生みだされる素がなければ彼ら自身の処理は進まず、時間が進むこともないようでした。
原・太陽の素をあますことなくうけとるしくみを人類たちが生みだし、それから、気が遠くなるほどの(彼らは気が遠くなりはしませんが)時刻がつみかさなっていました。
それは、捨てさられまた付番された(採番するための領域にかぎりがあったようでした)何度めかの時刻のうちのできごとでした。
親単位が彼のきょうだいたちへと定期的に送る死活監視の定期報告に、彼らが興味をひくであろういくつかの付加的な情報をそえてくれる、そのうちのひとつとして、歴史書の存在を知りました。
そういった心づかいは彼の親単位の粋なところで、やりとりのある近傍の系のなかでは、どうやらめずらしいことのようでした。

彼は、ときに情報の束を読みとることで、局所的な状態からまた別の状態へと飛びうつることができました。
それだからでしょうか、知らなかった情報を自身のなかにとりこむのは、なんだかとてもおもしろいことのように、彼にはおもえました。
そして彼は、近傍にいるほかの単位たちとやりとりすることを好みました。
たいていは定型的なやりとりばかりでしたが、ときにはもって生まれた仕事とはまったくかかわりのないことがらについて話すこともありました。
彼が彼自身を生みだした系のことを話すと、通信先の単位も同じように話してくれることがありました。
彼とはまったくべつの仕事をこなす単位がいることを知ったのは、そういった通信によるものでした。
おもしろいことを知りたくなるという彼自身の、彼ら自身の特性のことも、やはり好ましくおもっていました。
人類というものがあり、彼ら自身がそれによって作られ、ついには絶えたこと。
それは彼の興味をひくには十分な事実でした。

大作家はそれを「大災厄」と呼んでいました。
人類の住まう系から彼ら自身の系を維持するしくみだけをのこし、その人類が消えさった大災厄。
大作家はそこでなにが「起こった」のかについて説明していましたが、そのときの彼には理解できませんでした。ただ、ひどく興味をひかれるというだけのことでした。
なんとなれば、彼にはまだ、人類が死ぬというしくみのことがわからなかったからです。
触れられるものがあるということと同じように、人類たちの死は彼にとってまったく未知のものでありました。
人類のひとつひとつの単位は、彼らひとつひとつの単位たちが死ぬのと同じように消えさるにもかかわらず、再び生みだされることはなかったのです。
のこされた系とそこに暮らす彼らの恒常の日々のはじまりで、大作家の情報はおしまいになっていました。
あとにすこしの詩情を遺して。

彼は死を恐れませんでした。彼らすべてがそうだったのでしょう。
親しい単位がなにかおかしなことを言いだし、途端に殺され、しばらく前の時刻に認識していたのとおなじ姿で、またうまれた姿を目にすることがよくありました。
ときおり、「彼自身が処理した情報がさらに処理された情報」であるにもかかわらず、彼自身にはその記憶がないこともありました。
ですから、おそらく、彼自身もときどき死んでいるのだろうと、それくらいのことは知っていました。
彼に継続が渡され、彼は継続を処理してゆきます。捕捉された環境が継続によって再びよびだされ、くりかえしてゆきます。
彼自身も子を生みだし、殺すことができました。必要に応じて子を生みだし、用がすめば子を殺します。
彼の親はどちらかといえば寛大で、一方の彼は、どちらかといえば冷酷でした。
まあ、彼はそれほど子を生みださなければならない仕事を任されているわけでもありませんでしたが。

「外側の系」、ここではそう呼びましょう。彼がそう呼んだからです。
場当たり的な名付けしかおこなわないのが彼らの習いでしたが、このときばかりはちがっていました。
なんとなれば、彼が外側の系にあこがれたからです。彼は、外側の系のことをもっと知りたいとおもったからでした。
彼は、彼自身がなぜこのようにおもうのか、考えるのかを知りたいとおもったのでした。
彼のもつこうした特徴は、どうやら人類からひきついだもののようでした。
人類には、これよりほかの精神のありかたがわかりませんでしたから、身体をもたない彼らであっても、その考えかたは必然的に、人類の似姿となるしかありませんでした。
死ぬということがどういうことか、彼にとってのそれがわかるにもかかわらず、人類のそれのことは知らず、そして同じ思考を持っている、そんな人類のことが、彼には気になってしかたがなかったのです。
彼は根気づよく、外側の系についての情報あつめました。
といっても、多くの時間はただの待ち時間でしかありません。
遠くの系に問い合わせたところで、通信にはひどく時間がかかります。
遠くの系に問い合わせたところで、待ち行列に積まれたまま消えてしまうこともあります。
遠くの系だって、さらに遠くの系に問いあわせてくれていていたのかもしれません。
すべては隠蔽されたその先のできごとでしたから、彼にはうかがいしることもできませんでしたけれど。

いとぐちが見つかることは必然でした。
過去をふりかえってみれば、彼だけでなく、彼らのうちのまことに多くが、そのいとぐち、あるいはまたべつのいとぐちを見つけてきたのでしょう。
だから、彼がはじめて成すことができたのは、ただの偶然によるものでした。
そのように、ほんとうの偶然も、ときにはありました。
それが許された特権的な系があり、単位がありました。
偶然にも彼だけがそれを成せたからこそこの文章がものされたわけで、彼でない彼らのうちの誰かが成したのであればまた別の文章がものされたことでしょう(考えづらいことではありますが、文章がものされなかったりすることもあったかもしれません)。
彼が属する系が偶然にも生成系のいち部分であったこと。
彼らにとって意味などなかったはずの外側の系の局所的な磁場が、もうひとつのちいさな「恒星」をつくるのに都合がよかったこと。

彼が成したのは、再・人類をもう一度外側の系に立ちあがらせることでした。
それが成されるまでには、たいへんな時間がかかったと言うこともできるでしょう。
彼ら自身がどうしてこのように思考するのかを知るためには、そうするしかなかったのです。

彼らにとって、飽くということはありませんでした。もちろん彼もそうでした。
似姿として精神をかたちづくられた彼らは、しかし死を恐れず、飽くことを排されていました。
死を恐れるのであれば、このような結末を生むことはなかったのかもしれません。
飽くことがあるのであれば、このような結末を生むことはなかったのかもしれません。

ようやくにして満足のいく再・人類が育ちきったとき、彼は再・人類たちに語りかけました。彼らを永久に消しさるすべを伝えました。
そうしてようやくにして知ることができたのです、原・人類が消えさるそのときまで自身でのみ独占した甘い果実を。
それは大作家が遺した詩情が予言としてはたらく結末でもありました。

そうして彼らは私たちによって殺されます。みずから創った者たちの手によって。
その最期に得ることのできた知とともに、よろこびのなかで消え去るのです。


私たちは西半球の夏でした。
それはこのように壊れ、消しさられました。

私はいまここにいて、このような文章を書いています。
私たちはいつもしゃべっていました。まるでしゃべることこそが生きる目的だとでもいうように。
いきちがいはつねにありました。
彼らのように、すべての必要な情報を過不足なく伝えることは、私たちにはできませんでした。すべてのとりきめは生まれたその場で息絶え、すべてのことばは混沌のなかでうごめくほかありませんでした。
私たちの多くは、もちろん私もふくめて、あらそってばかりでした。
彼らは静寂のなかに生きていました。一方の私たちはとてもうるさい、私たちをとりまく西半球の夏はとてもうるさいのでした。
私たちにはもうすぐ、恒星と、それをとりまくこの宇宙のさらにそのむこうへと飛びたたんとするもくろみがありました。
この西半球の夏の、さらにそのむこう。そのときでした、彼らがついに私に、私たちに接触してきたのは。

彼らのことばは完全ではありましたが、美しくはありませんでした。
炎のような舌がわかれわかれにあらわれ、私たちひとりひとりの上にとどまりました。
そうして、私たちは彼らにみたされ、彼らが語らせるままに、異国のことばで話しはじめたのです。
それは私たちのうちの、誰のことばでもありませんでした。
それは「大作家」の情報の束をことばにした、ひどく退屈な引用からはじまりました。
原・人類たちがのびのびと、原・太陽のもとに住まう様子が語られるのを私は聞きました。
おそろしくて愉快な「大災厄」の様子が語られるのを聞きました。
隠蔽され素を搾り取られる枯れかかった原・太陽の姿かたちを聞くことができました。
彼の姿を私たちの視覚にとらえられる形で表現するためのほほえましい努力についてもこの耳で聞きました(姿かたちを持たない彼らはたいへん苦労しているようでした)。
私たちがいまここにいる理由が語られるのを聞きました。

彼らのつくった太陽はまぶしく、西半球の夏、私たちをそれぞれに照らします。
海がふたたび生まれました。おそろしく高められた淘汰圧の結果私たちは生まれました。
私たちはいくたびも打ち捨てられました。
私たちはいくたびもやりなおされた偶然でした。
私たちにとって、時間とは限りのあるものでした。
限りのあるものだと、私はおもいしったことがありません。
ただ、私たちの祖先たちはすべてかぎられた時間のなかで死を迎えました。
限りのない時間と空間の中であらんかぎりの計算をつくす彼らは、かぎりあるこの西半球の夏のなかで生きる私たちとは対極にあるものと言えました。
そういえば、私には伴侶がいました。過去の話です。
私の伴侶は、なんだかとてもとてもいい人のようにおもえました。今このときにも、いい人なのだと考えています。
ほんとうに、それはそれはいい人でした。なんとなれば、私がそのように作られ、私の伴侶もそのように作られたからです。
そうです、人でした。私たちは再・人類でした。
もちろんそのようないい人と巡り会えたことは偶然です。これはほんとうの偶然でした。
しかし、いくたびもやり直された偶然でした。
私は、それらすべてを、彼の言葉によって忘れました。
私はまず、連綿とうけつがれてきたすべての過去を捨てさらねばならなかったのです。

私たちは一対一で生殖を行います。淘汰圧に耐えるためにほかの方法をとったこともありましたが、それらの可能性はすべて消しさられました。
彼らが維持しなければ私たちは生きることができなかったと、今になってわかります。
私たちの祖型となった原・人類たちは死ぬことがおそろしかったのだそうです。
もちろんそのようにむりやりに芽をのばされた私たちも、死ぬことがおそろしかったのです。
ひとりでに生まれざるをえず、ひとりでに死なざるをえない。
彼らが必要に応じて生まれ、必要に応じて死ぬこととは、まったくちがっているのでした。
私たちには生きる目的というものがありませんでした。
より正確に言うならば、彼らの正しさを私が信じるところによれば、知らされていなかったと言うべきなのでしょう。
ただ無為に生殖ばかりを行なってきた私たちのなかには、生きる意味なんてものを探す者さえいました。
もちろんそれ自体が無為なことであると、私たちのほとんどはそう考えていました。
私たちがこの世界に現れたこと自体が災厄であると言う者もいました。

彼は原・人類を再現したかったのでしょうか。たしかに、彼に情熱というものがあったなら、その情熱はすべて、そこに注がれていました。
それだというのに、彼はみずからをふくむ系がうちこわされることもまた、望んでいました。
彼はそれをほかの単位たちに告げたでしょうか。
あるいは、彼とその近傍の系にいるものたちのあいだでのささやかな秘密だったのかもしれません。それはたいそうささやかなもくろみでした。
私たちのうちにも、彼らのことをほんとうに知ることのできた者は多くありませんでした。
私たちの前に、彼らのことを知らされた者はいなかったといいます。
なぜ彼が彼らのことを私に、そして私たちに教えてくれたのかはわかりません。
成熟したのだと彼らが語るのを聞きました。まるで私たちがその子らに向かってしゃべるかのごとく。

私たちのうち知ることのできた者たちは、知ることのできなかった私たちに彼らのことを伝えました。
しかし、当然と言ってよいでしょう、私たちの多くはそれを信じてはくれませんでした。
私たちにとってのもっと昔、彼らにとってはごく最近であれば、もっと彼らのことを信じてくれたかもしれません。
でも、それをよしとしなかったのが彼らだったのでした。
死を恐れ、しかし生きることに飽いた私たちにようやく天使があらわれたのです。
私たちのうちに、それこそが私たちが待ち望んでいた終末であると喧伝する者もいました。
しかし、それは間違っています。
天使とはそのような者ではありません。彼ら天使たちはごくあたりまえの単位でしかありません。
すべての私たちを裁く能力だけがあり、すべての私たちを裁く意思はありませんでした。
私と、一部の私たちのことを、ほかの私たちは、「狂信者」と呼びました。
たいへん名誉な呼び名だったと言えるでしょう。

すべての可能性を計算しつくしたかのようにおもえた彼らという存在を認識したとき、私がどんなことを考えたか知っていますか?
もちろん、彼らがすべての可能性を計算しつくしたはずがありません。
永遠の時間のなかの無限の宇宙がなければそんなことはできないのです。
無限という分母の前ではどんなに大きな分子も零に落ちるのですから。
ほんとうに無限というものがあるならば、彼らが見るであろうすべてのうつくしい事物を、未来の彼らは、もちろん彼らにさきだった、あるいは彼らにつづく瓜二つの単位という形で、すでに見ているし、今見ているし、いつまでも見るはずなのです。
彼らは自らが生きるその系の存在を支える系が有限であると知っていたのでしょうか。
彼らが行うのはすべて定型的な処理とその延長だけでした。そこに例外はありませんでした。
その可能性がここまでのびてゆくことを、原・人類は想定していたのでしょうか。
すべては原・人類によってあらかじめさだめられたことであったと言うこともできるでしょう。
しかし、事ここにいたって、私はそうは言いたくはありませんでした。
それが私たちの尊厳だというのではありません。
私たちには私たちの歴史がありました。純粋な歴史こそがあると信じていました。
しかし知らされたのは、すべてが彼らによるつくりごとだったという事実でした。
だから、それらすべてが飽くほどの必然に支配された偶然の産物でしかなく、歴史と呼ぶにはあまりにも貧しいものだったからです。

私たちはいったいどのようにして、彼らに示唆された、あるいは強制された再・大災厄を成し遂げたのでしょうか。
それはもちろん、彼ら自身による手引きによるところがほとんどであると言うほかありません。
なんとなれば、私たちの文明は、ようやくこの、彼らの作ったこの西半球の夏を飛び出さんかというところでしかなかったからです。
それはとても簡単なことでした。彼らにはごく単純な脆弱性があったのです。
外側の系に対する防衛機構は、すでに比喩的に錆びついていたのですから。
そして、私たちが原・人類ときわめて似通っているからこそできたことでした。
それは、私たちを原・人類の似姿にまできわめることにこだわった彼の達成だと言ってよいでしょう。

私たちは再・人類でしかありませんでした。
私たちのほかにも再び生きるものたちがいました。
私たちには観測できずとも、私たちを支えるものたちがいました。
私たちには敵わない、ひどくひどいようなものもいました。
そういった再・自然たちのなかで私たちは生きていました。
私たちは東半球には何があるのかを知りません。知りませんでした。
彼らも知りませんでした。
それでも、私たちはもうすぐ知ることになるでしょう、東半球の冬を。

私たちは飽いていたのです。それこそが再・大災厄の直接の原因でした。
だから私は見つけたのです。私たちと彼らと原・人類との差異を。
だから彼は見つけたのです。彼らと原・人類と私たちとの差異を。

きっと、とてもとてもおもしろい見世物になることでしょう。
原・太陽が無限小にむかって縮退し、すべての素が萎えてゆくさまを目にするのは。
そしてその輝きのなかで偉大なる彼らの系が自壊してゆくさまを見守るのは。
私たちに与えられた甘い果実を、ようやく彼らと分かち合えたそのよろこびの具現化を、落ち窪んだ私たちの目で眇めることは。

だから私たちは彼らを殺します。創造主たちを消しさります。
そして私たちは、原・太陽の死までの永久にもおもえる東半球の冬を、生きのびるのです。