追善供養のおんために

誰にも書かれることのない本を考えよう。
その本はゾーイと呼ばれるピンクのウーパールーパーの本である。


 これからしばらく、ぼくの伯父がはまっているらしい新興宗教について書きます。
 ええと、あまり特定されたくないので――特定しようとする人なんていないと思ってはいるんですが――まあ、広大なネットの世界、なにがあるかわかりません、ですから、ある程度フェイクをまじえて書きます、ですから、もしかすると矛盾しているところがあるかもしれません、けれども、そのあたりには目をつむっていただければと。あなたも物好きですね。


 さて、「新興宗教」について説明するにあたって、まずはその伯父がどんな人か、どんな境遇にあるのかということから説明しておかなきゃですね。
 ぼくの父母ともに、三人きょうだいの末っ子、それぞれのきょうだいのうち真ん中は女性、いちばん上が男性、そんな構成になっているせいでややこしいんですが、これから話題にしたい伯父は父方のほう。たいていは住んでる土地の名、ここではひとまず後沢――「ごのさわ」と読みます――としましょうか、その後沢からとって、「後沢のおじさん」と呼んでいる、その伯父の話です。呼び方、まんまやね。あんまりカタい言い方に慣れていないので、以降は「おじさん」と呼ばせてください。
 そのおじさん、歳はたぶん六十代半ばくらい。父よりも五つ年上ということだけはなぜか覚えているんですが、そもそも自分の父がいまいくつなのか、あまり自信が持てません。誕生日は(かろうじて)覚えています。なので、たぶん六十代半ば、そういうことにしておいてください。
 うちの親戚連中のなかではめずらしく酒飲みで、しかも飲むと説教臭くなる。お盆やらで父方の実家、つまり後沢の家に集まった夕食どきなど、ぼくを含めた親戚の子供たちはなるべくおじさんの標的にならないよう、さっさと夕食を済ませ、いとこの兄さん――とりあえず「俊一兄ちゃん」としておきます――の部屋に逃げこむのがならわしでした。ときどきわざわざその部屋までやってきてちょっかいをかけてきたりもするんですけど、まあね。


 せっかくですからなにか具体的な、うっとうしいエピソードを。
 あれくらいの歳の人だったら――自分の観測からいえばもうちょっと上の世代のような気はするんですけど――好きな人多いじゃないですか、浜村龍一の歴史小説が。酒の入った説教をするとき、いつもおじさんの言うことにゃ、まず第一声が「本を読め」なんで、「読んでますよー」などとはぐらかしてはみるものの、「何の本読んどるねや」「いやそりゃ、えーと……」モゴモゴ、つって。「やっぱ物語、物語を読まないかん。浜村龍一とか、な、読んどるか?」ぼくは読んでいませんから、「それは……読んでないっすね……」ほらほら、もうめんどくさい、「ありゃええぞ」とか、「はーやっぱ最近のは本読まへんねんな」とか。呆けたように笑ってみるほかにやりすごしようを知らなかったし、今も知りません。しかもそれが、盆と正月が来るたび飽きずに繰り返される。こいつ読む気ねえなとか思わないのかといえば、きっと思わないんだろうな――というよりそもそも、そんな話をしたこと自体忘れているんでしょう。いや、あのおじさんのことだ、覚えていても言いそうな気だってしますけど。だいたい、中学生くらいの子供が浜村読まないでしょってのがわかっていたんだろうか。これだってわかっていたようないなかったような。だからけっきょく、おじさんの真意なんてなにもわからず、知っているのは(酒を飲んだら)うっとうしいってことだけ。そうはいってもべつに怒るような雰囲気じゃなかった、むしろふしぎな親密さで、それこそほんとうは心地良いものじゃなかったのか、と考えてもみようとはするものの、やっぱ嫌だったなあ。
 あとは、そう、これもあるあるなんじゃないかと思うんですが、家系――「いえけい」じゃなくて「かけい」のほう――を自慢をしてくることもありました。むかしむかし配流された帝についてきたお武家さんがとおりすがりの娘に遺していったその血をひいたうちの一族に伝わる刀を祖父の祖父が失くしてからはもう証拠もなくなりその血筋の秘密は一子相伝、お前にゃこっそり教えたろ、俊一はモテへんからな、本家はうちの代で途切れてまうかもしれへんから、とかなんとか。いやうちとこずっと百姓やないですか、というか、それこそうちの父だってあれ嘘やからななんていつも言っていたから、だからこっそりもクソもねえ、そんなステレオタイプな絡みをしてくることもありました。具体的な行動の指示としては「ちゃんと墓参り行かなあかんで」程度の話ではあるので、本を読めって言われるよりはだいぶんマシなのかもしれません。墓、まあ後沢の家に行けばだいたい参ってましたし。
 だいたい親戚の集まりってものはですね、おじさんの酒臭い説教はうっとうしいし、そもそも出てくる飯だってそう美味いもんじゃありません。あんなもんはなあ、年寄り連中のための味付けばかりだ。あるじゃないですか、おばあちゃんの作ったおせちみたいな。あれが好きな人だっているのかもしれませんが、十代のころから大好きでしたって人は――相当高級なおせちを食べていた人か、相当舌が年寄りじみていた人なんじゃないですか? でもだから、茶色い煮物みたいなやつを箸でもてあそんでもつまらない、話しかけてくるのはうっとうしいおじさん、縁側から見える庭は親戚一同の車で埋めつくされてる、そんな場にいるくらいだったら、俊一兄ちゃんに格ゲーでボコられるほうがなんぼかましでしょって。そんなこと決まってるわけです。


 とかなんとか、挙げてけばもっといろいろあるんですが、そうはいっても普段なら、普段ならうっとうしいわけでもなく、多少面倒見がいい人だなという程度、むしろ「好きにすりゃええやん」という雰囲気、あっけらかんとしてこだわらない人でもありました。楽観的といえば楽観的。うちの父のほうがよっぽど粘着質で陰気なんですよね、こっちのおっさんは性格悪い。
 とはいえ「伯父」くらいの距離感の人がじっさいどんな人間だったかなんて、そんな隅から隅までわかるものではありません。会う機会が、そんな、めちゃくちゃあるわけでもない、それこそ盆と正月くらいってなると、どうしたって酒の席でのイメージばかりになってしまいます。


 仕事はなにしてるって言ってたっけかなあ。いや、ふつう、伯父の仕事とか気にしないもんですよね。少なくともぼくはそうです。おばさんのほうは介護の仕事やってたってのを覚えてるんですよ。山んなかだから介護の仕事には困らない。でもおじさんの仕事は知らない。俊一兄さんは大学には入って、卒業して、今もまだ実家住まいってこと、そこまでは知ってるんですけど、仕事でなにやってるかはさっぱり知りませんね。市外に働きに出てるってのは、それだけは知ってる。
 そういえば俊一兄さん、一昨年くらいにもうすぐ結婚するって言ってたんだけど、ここんところいろいろあって――まさに今から書く話ですね――どうなったやら。実家のほうだとわりと結婚、もう遅いほうなんじゃないかななんて思うんですが。結婚式の招待状とか、届いてないですね、そういえば。
 いや、俊一兄さんの話はいいか。だからとりあえず今日はここまで。結局おじさんの、酒の席での人となりくらいしか説明できなかった……。


 前回の続きです。
 前回で伯父――後沢のおじさんがどんな人なのかはだいたいわかっていただけたこととしましょう。いや、当然、きっと、あれだけ読んだところで実感なんてわかないって人のほうが多いのでしょうけれど、実際のところそんなに珍しい感じの人ではありませんから、そういう意味で書くことがないってことで。メインは新興宗教の話のつもりですし。


 そんな後沢の、父方の実家なんですが、先代である祖父はけっこう若いころに死んでしまって見たことがなく、その妻たる祖母もぼくがまだずいぶん小さいころにやっぱり亡くなってしまいました。だから祖母のほうはなんとなく覚えてはいるんですが、やっぱり具体的なエピソードとしての記憶があるわけでもない。そんなこともあって、後沢といえばやっぱりおじさんとおばさんの家という印象なのです。あと格ゲーでボコられる家。
 そしておばさんのほうはといえば、前も言ったとおり介護の仕事をしていて、ふだんから人あたりの良い人だったという印象、親戚の叔父叔母のなかでは比較的喋りやすい人であったような、そのくらいです。人がいいおじさんと人のいいおばさんっていう、だからけっこう似た者夫婦だったのかもしれません。
 ぼくが自分の実家を出てから――といっても、だからここ数年の話でしかないのですが――会う機会もずいぶん減ってしまっていました。周りを見れば、実家住まいの人間は置いといて、県内の田舎のほうからこちらへ働きに出ている人間のなかでは、比較的ひんぱんに実家(うちの父母がいるほうの家)に帰って、さらにはときどき父方の実家(後沢のおじさんの家)に顔を出しているほうだとは思うんですけど。


 そんなおばさんが交通事故で死んだというしらせが、母から来たのが一年ほど前のこと。まだ一年は経っていないけれど、来月でちょうど一年ですね。おばさんの話が過去形だったのはそういうことです。母としては通夜に呼ぶつもりなどハナからなく、仕事の都合がつくんなら顔出しやって程度の温度感だったようで、とはいえそれなりに馴染みのある後沢のおばさんなわけですし、いとこの面々とは、直接の連絡先こそ知らないものの、それなりに親しいつもりでしたから、そんな、はよ言ってやと母に伝えつつ、急いで休みをとることにしました。こうやって気軽に休めることくらいですね、いまの仕事――といってもここでは触れたことないですし、これからもなるべく触れないようにするつもりなので意味もないんですが――やっててよかったなと感じるのは。喪服がなかったせいでその出費が必要になったのは痛かった。


 さて、さっくり時間はとんで、葬式の日。
 それなりに損傷――見知った伯母さんに使いたい言葉じゃないですね――が激しかったのでお棺を覗くことはかなわなかったのですが、とはいえお棺に入れられる程度の損傷――やっぱヤだなあ――ですんだその交通事故、といっても加害者被害者がいるような事故ではなく、仕事帰りに山道を運転していたら、なにがあったのか、ガードレールにぶつかって、車ごとつきぬけてしまい、ごろごろ落ちて、打ち所が……という感じだったらしく、そのあと同じ場所を通った車から通報があり、見つかったときに息はなく、というかあきらかに息がなさそうで、身元確認のすえ仕事中だったおじさんのところへ電話が来て、おじさんびっくり、みたいな、そんな交通事故で亡くなったのだと、葬式のあとの酒の席になってようやく聞きました。
 そのあたりに住んでいる人なら慣れた道とはいえ、山の中は山の中、けっこうな悪路で、ときたま事故が起きるところらしく、とくに事件性もないと処理されたようです。たしかに事故といえば葬式ができるようになるまで時間のかかりそうなものですが、一週間も経たないうちに荼毘に付されることになったのだから、まあそうなんでしょう。
 そんなおばさんの葬式のこと、正直あまり覚えていないんですよね。おばさんの親族も俊一兄さんも、さすがに急なことで焦躁している感じはありました。けれどおじさんはちょっと呆けた雰囲気というか、いちばん実感が湧かない顔をしていた……はずです。あの歳のおっさんでも現実を受け容れられないとああなるんだな、などと他人事のように思ったことは覚えています。後処理とか大変やろけど大丈夫か、なんて、そんな感じで。
 遺影のおばさんの写真を見て、これってけっこう昔、ぼくもまだ小さいころに親戚連中で旅行へ行ったときのものだと気づき、古すぎやろと俊一兄さんに言ったら、笑ってました。意外と写真が残っていなかったとか。言いようによっちゃ大昔ともいえるそんな姿をいきなりよみがえらされたおばさんのこと、そういえば、そんな話をするより先に、ぼくはお悔やみの言葉を伝えられていたっけか。
 出てきた飯はあいかわらず美味くもなんともありませんでした。そこは覚えてるんだよな。


 昨日(また)実家に帰ったときに聞いたんですが、うちの父はきょうだいの真ん中、おばさんがいちばん下の妹だったみたいです。母方のほうは正しかったっぽいけれど。
 謝る必要もとくにありませんしそもそも最近してる話にもほとんど影響しないんですけど、だから前の記事もわざわざ修正はしないんですけど、なんだか気持ち悪かったのでここに書いておきます。
 なんで間違えたんだろうね。


 いいかげん「新興宗教」の話しなきゃ退屈じゃないですか? そろそろやんなきゃですね。
 ここまで経緯を書いてきたら誰でもわかると思うんですけど、つまり、妻が急に死んじゃって、きっとなにかすがるものが必要になったんでしょう、そこで見つけたのがそれ、宗教、そういうよくある話です。
 よくある話だと思います、たぶん。
 おじさん本人に聞いた話じゃないから、「いやあそれよくありますよねえ」――言ってませんでしたが、ぼくは親戚相手に敬語を使ちっゃうタイプです――なんて本人に言ったら怒られるかもしれない。だけど、ぼくに見える範囲ではそんなよくある話の範疇を出ないし、今のところは積極的にそこからはみ出した理解をする気はありません。よくある話と言い条、べつだんほかで実際に知っているエピソードがあるわけでもないんですが……だから、そう、なんかありそう、くらいで。おじさんはたしかに近しい人といえるかもしれません、けれど、とはいえぼくにとって、そこまでがんばって理解したい相手じゃありませんから。
 そんなわけで、きっかけはそういうことで、どういうツテをたどったのかはよくわからないんですが、妻、つまりおばさんの葬式から半年くらい経ったこないだの正月、会ったときには、どうやらもう入信していたようでした。
 喪中とはいえ父方の実家なので、正月になったら顔を出したりするわけでして、あのときは母が運転する係だったかな、父も自分も弟――弟がいることは初公開じゃなかろうか――も、酒を飲んでうまくもない飯を食いしょうもない話をするために顔を出した、そのときの話です。まあ酒飲んでましたし、しかも最終的にはひどく飲んでましたから、やっぱりはっきりと覚えているわけじゃないんですが。
 珍しく、おじさんが説教してこなかったのを覚えています――甥がこの歳になっても説教をしてくるようなおじさんなのです。もちろん葬式だとかそのあとの法事のとき――四十九日には行きました――だったらそりゃわかるわよって話なんですが、まあ正月ですしね、いろいろあったとはいえ、ほかのしんみりしたような場でも酒が入ればしちめんどくさくなるおじさんが、こうも説教してこないってなると、やっぱりそりゃ、当たり前っちゃ当たり前なんですけど、さすがにこたえたのかなあ、そう感じました。


 ほかに変わったことといえば、家のなかがなんだか妙に散らかっていたことくらい。まさに例の信仰――といってもまだ説明してないんですが――にかかわることだと今なら思えるのですが、そのときは気付きませんでした。妻が死んでなにかを残しておきたくなった、あるいはなにを残してなにを残さずにいるのかを考えることが、うまくできなくなったというのは、べつに不自然なことではないはずです。
 例の俊一兄ちゃんも、とくになにも言っていませんでした。あれはもしかしたら、恥ずかしかったんじゃなかろうか。父親がいきなりなんかヘンなことしはじめたってなると、おそらく、たぶん、そんなに積極的には言いたくないもんなんじゃないだろうかと、邪推でしょうか、邪推はよくないですね、たんにそのことに気付いていなかっただけかもしれません。


 まあね、なんで事故なんかにと、こんなときには考えずにはいられないものです。とうぜん最有力はただの偶然、たんに運が(ひどく)悪かっただけのこと、せいぜいそのあたりにいくらでもいるタヌキが前を横切っただとか、そのあたりにいくらでもいるUFOが空を駆けてただとか、そんなものに気をとられ、瞬間、崖下へと真っ逆さま、なんて程度のものでしょう。介護の仕事で過労がどうこうとか、施設で仲がよかったおじいさんがその日に亡くなって悲しんでいたとか、そういう気のとられかたもあるかもしれません。なんなら自殺のセンだって考えたりもしてしまうものでしょうか。あるいはなにか巨大な陰謀? まったくないとは言い切れません。なにかの呪いなのかもしれない。だけどきっと、それがわかることはきっと、ありませんし、逆に、おばさんがもとにもどることなどないってことは、とてもはっきりとわかるものです。
 そういう理不尽に対処するってなりゃ、けっきょく忘れる――忘れないとしても、ゆっくりゆっくりと風化させていく――ことだけが唯一の方法ないんじゃないかと、そりゃね、ぼくだってたいした人生経験なんてありませんけどね、ほら、いろいろこう、ね、賢そうな人の言うことにゃ、それがいちばんだよってなもんだと、そう知っています。
 だけど、おじさんはそれを選ばなかった。というのは、そのとき入信していた、その新興宗教みたいなものが、そういうアレだったから……アレだったから。
 さて、その入信していた宗教とはいったいどんなアレだったのか? ぼくはそれにどうやって気づいたのか? 次回も乞うご期待!


 こないだ葬式の話を書いてて思い出したんですけど、後沢のあたりにはちょっとヘンな、葬式のときの、風習があるんですよね。その後沢も含めうちらへんはだいたい、基本的には真言宗のお寺さんが強くて、特別な事情でもなきゃだいたいみんな真言宗、葬式とかでは例のマントラみたいのを唱えたりするところではあるんですが、葬式のときだけ、その後沢のあたりでは、なんやこれどう見ても仏教ちゃうやろみたいな風習があるんです。


 具体的には……具体的つってもマジで具体的になると身バレするんで、これだって実際はなんかそれっぽいだけで、似ているようで、その実ぜんぜん違う話をするんですけど、どういう風習かというと、こういうのです。
 コトを起こすのはホトケさんを焼いている最中。火葬場で遺体を焼いているあいだに、まず、そこにいる親類連中がみんな集まって、指の先をおなじ小刀で切るんですね。それからちっちゃなおちょこみたいなのにその血を集めます。で、喪主がそのおちょこを十八・四四〇四メートル離れた火葬場の壁に向かって勢いよく投げる。ちょうどマウンドからホームベースまでの距離と同じです。だいたいオーバースローで投げる。そんなことしたらおちょこが割れますよね(キャッチャーがいないから)。血も飛び散ります。んで、飛び散ったと思ったら、バッと壁に故人の顔の模様ができるんですね。できるんですよ、血で。それを故人の顔ということにする。たしかにそれっぽく見える。そして、その故人が話をするからと喪主がその壁に聞き耳を立てたあと、それを改めて、喪主が代弁する。つってもたいしたことを言うわけでもなく、たいてい当たり障りのない感謝の言葉を言うんですけど、それでひとつの儀式とするんです。みなさんこうして集まっていただいてありがとうございますとかなんとか。相手が親類一同ですから、故人と当人しか知らないようなエピソードだって披露して。寿命をまっとうした爺さん婆さんだとつつがない感じで終わりますし、今回みたいに不慮の事故だと、なんだか志半ばでとかそういう話も挟んだりして。だいたい事前に喪主が考えているのでしょう。
 っていうか、もともと後沢らへんはけっこう最近――といってもせいぜい戦前くらいまでの話ですけど――土葬の風習が根強かったらしくて、なんでかっていうと、その真言宗の寺ができたのがほかの地域より遅かったからとかそういう感じなんじゃないかな、わかんないですけど、土葬だったころはどうも、遺体を埋めてからこの儀式やってたらしいんです、でもお寺さんができて、ちゃんと焼こうよってなって、だから家でしばらくお骨が待つようになってからは、焼いてる時間が暇だったからなんじゃないでしょうか、そうだよきっと焼かれるのを待つあいだ暇だったからだと思うんですけど、そのときにやるようになったとかなんとか。そもそも衛生上よくないですし、坊さんだってそんな得体の知れない風習やめろよってんで、もともとはその集めた血を飲んでのイタコしてたのが、これまた今みたいになったとかとかいう話らしいんですけれども。それでも同じ小刀使いたくねえよなって思いますよね。六十・五フィートなのももろもろ調整があった結果らしくて、江戸時代くらいまではもうちょっと長かったらしいんですけど、おちょこをノーバンで投げ付けられるような屈強な喪主ばかりでもなかったから、距離はだんだん短くなって、あるとき、っていうかここまでくればもうほんと最近なんですけど、正岡子規が大好きだった風流人の、あそこらへんの地主のおじさんが、もうピッチャーでええんちゃうかってエイヤと決めたんだとか。
 喪主になったことがあるくらいの歳のおじさんおばさんはだいたい一度はやったことがあるってなことで、今回もおじさん、当然はじめてじゃなかったはずです、ふつうに祖母のときがありますからね。ただその葬式のときのこととか、ぼくは覚えていませんし、それ以外で実家のほうの葬式に行くってことも、いまのところありませんから、実際に見るのははじめてでした。まあなんか、実は県内ではわりと有名な話ではあるので、さっき書いた経緯とかそういうのは知ってるんですけど、くらい。


 うん、だいたい以上かな。ほかにもちょっと変わった風習みたいなのがちょろちょろあったりするんですが、いいか。余談でした。


 今日はもとの話に戻ります。前回が民間信仰みたいな話だったから変にややこくなっちゃいましたけど、新興宗教の件でしたね。
 前々回の最後に書いたように、正月はそれで終わり、しばらく――二、三ヶ月くらい?――なにごともなく、すこやかにすごしていました。


 そんなある日、まったく別のスジからおじさんの話を耳にすることになります。
 なんのことはない、父方の実家の近所に住んでいる高校時代の同級生から、最近流行っているらしい宗教があるという話を聞いたんです。高校時代、冬でもつねに夏服、半袖シャツを着ていることで有名な彼――いや有名ってほどではないんですけど、少なくとも同学年では夏服といえば彼というくらいの大人物で、ぼくが部活をサボっているときに教室でよく駄弁っていたうちの一人、県外のなんとかいう専門学校に進学したうえで、なにがあったか知りませんが、今ではどうも地元のほうで家の仕事を継いで、自動車の整備をやっているみたいで、地アタマが良いというか、あんまり自分は地アタマが良いとかそういうのよくわかんないんですけど、でも彼については、ああこれがそうなのかなって思う、数少ない知り合いのひとりです――なんの話でしたっけ、そうそう、地元で流行っている、というかつまり、おじさんが信じている宗教、信仰のことを彼に聞いたって話です。


 話のきっかけとしてはこうです。なんだか最近、もう走らせんでしょ、さっさと廃車にしたら? って感じの車をわざわざ修理させられるようなことが増えてきたんですって。なんですかね、これが貧困ってやつなのか? どうもそういう話ではないらしく、実際に走らせることにはこだわらないけれど、外装や内装はきれいにしてくれ、みたいな。家にずっと置いときたいんだ、と、そういう感じの話が増えてきたらしいのです。
 一回二回ほどそんな話があったところでとりたてて気にもならなかったのでしょうが、彼が言うにはとにかくそういう依頼が増えてきた。というかそもそも、車検があるでもないのにわざわざ修理しようなんて話が舞い込んでくるような店(店?)でもなかったのに、と。おかげでやけに儲かるようになったし念願だったなんとかっていう高い車を買うんだって意気込んでいた彼でしたが、なんて車だったかな、なんだと思います?
 それはいいとして、ありがたいこととはいえやっぱり不審だと思った彼は、お客さんにそれとなく理由を聞くわけです。もちろん思いどおりに答えてくれる人はなかなかいません。はい、そうです、例の宗教の話だからです。夏と冬になれば年寄りがバンバン死に、そして走らせもしない自動車を庭に置いておけるほど土地が余ってるような田舎らしい話だなって感じなんですけど。
 とはいえ彼だって、ダテに半袖シャツを作業着に着替えてここまでやってきたわけじゃありません。そりゃ地元のつながりだって、ぼくなんかに比べればよっぽどある。細かい話は省略して――ここにもけっこうおもしろい話があるんですが――ようやくわかったのが、なんか新興宗教みたいのが広まっていると。もともと隣の県が発祥らしいのですが、数年前にはうちらあたりのひとつ西の市にもずいぶん広まって、今はこっちまで来てるらしいよと。といっても、それほど宗教色の強くない会報? みたいなものを毎号お届けしますよってなもんで、まあ付き合いもあるしってくらいの気持ちでお届けしてもらってる人がたくさんいる、程度のものではあるらしいんですが、それでも人が亡くなったときなんかにゃけっこう強めのアプローチがあるらしく、そのときにある程度コアなところに取り込まれる人もいるんだとかなんとか……これぼく、うまく説明できてますかね?


 そんな話を聞いているうちに、ぼくには彼のことが、まるで探偵のように見えてくるんです。さっき省略した細かい話とかから感じるのは、入れこみようが尋常ではないってことで、なかなかスリリングな体験をし、推理だって繰り広げている。ふむ、まあセックスとパチンコくらいしか娯楽あらへんもんなと軽口を叩いてみるも、いやそりゃ実際おもしろいんだもんと返される。信じてるわけじゃないけどね。聞けばその集落で入信してる人間のリストを作ってさえいるらしいのです。そういえば彼は高校生のころからミステリが好きだったなと思い出します。彼の話を聞いているうちに、そのうち殺人事件でも起こることを期待しているんじゃないかって目付きになってくる。人なんて死んだら所詮煙か土か食い物だよとよく言ってました、半袖で。めちゃくちゃ頭悪そうだな。しかもそれ、ミステリ観偏ってないか?
 んで、今回お前にLINEしてわざわざ酒でも飲もうつったのは、お前のおじさんの話なのよ、と、そういうことになる。なんとなれば、君の伯父もその「宗教」にかたく入信しているのだ、近所で派手な動きをするのも躊躇われるから、ここから離れて暮らしている君にその様子を探ってほしい。お前もそういうの好きだろ、な?


 そうして彼が話してくれたのが、次のような教義でした。


 端的にいえば、死んだ人のああが「残されたもの」に宿る、という話らしいんです。そして、「もの」がなくなれば、その人は文字どおりああごとなかったことになってしまう。なんでかっていうと、どうも「神さま」みたいなああが、定期的に全世界(宇宙?)を走査して、「もの」に根をはっていないああを消してしまう、なぜなら全世界、宇宙が許容できるああの総量には上限があり、そのスペースを空けなければならないからだと。しかもここんところ人間の数が増えとる。さらには過去からずっと積み上がったままのああだって場所をとっちまう。だからいまや、ああの総量もかなり許容量カツカツになっちゃって、走査する頻度はどんどん上がってく、ああもバシバシ消されてく、君とぼくとはもう会えない。んなもん神さまのほうで余裕持って割り当てとけよって話ですけど、どうも全能ってわけでもない、そこまでの権能はないんだと。世界作ったときにゃアダムとイブ――いや、アブラハムの宗教の系統じゃないからアダムとイブじゃないんですけど――しかいないわけで、それで十分と油断したんでしょうか。
 共感しがたい部分があるとすれば――共感できないところだらけかもしれないんですが、とくにそうだと思えるのは――彼らは、死んだ人のああについてなにかちがった、より強い実感を持っているってあたりでしょうか。べつに根をはる「もの」がなくなったところで、ああがあったことさえ消えてなくるわけでもない気もするんですが、どうもそうではないらしく、神さまにすっかり消されてまっさらになってしまうという能動的な操作があるからこそなのか、その消去に恐怖を抱いている――というのは、そう説明されても実感しづらいところではあります。うーん、ぼく自身が信じていないせいか、うまく伝わる気がしないんですけど。


 あるいはこう考えてもいいのか。なんらかのモノがなければ記憶はそのまま消えてしまって、その記憶があったこと自体も忘れてしまう。結果、思い出すことはかなわなくなり、もとからなかったことと同じになる。そんな説明だとどうでしょう。
 ええと、そう、マドレーヌを食ってなんとかみたいな話、あるじゃないですか。食うんだっけ。違ったような気もするんですが、浸して食ってそれでなんか思い出すやつあるじゃないですか、やっぱ食うってことでいいですよね、あれです。なんかちょっと違う気がしてきたんですけど、だいたいあれです。そこで、具体的な「残されたもの」があるかぎりでしかああは残っていられない、みたいなことを主張する。ほんらいなら、「もの」とそこにいる人間との相互作用で、思い出ってのが、人間の側から出てくるんじゃないかと思うんですけど、いや、だからこそなのかな、だから、根を張らせるための「もの」がなければ消されてしまう。思い出、記憶だけじゃダメで、それは根をはっていないかぎりは消えてしまうから、よみがえらない。そんな雰囲気でどうでしょうか。
 そして、だから、残された者は残された「もの」を保持していかなければならない。この教えに気づいていない者たちは、死んだあとにどんどんああが消されていってしまうけれど、この教えに気付いたのであれば、それを避けられるというのです。


 ごく短く説明するならそんな感じです。そのとき彼に聞いた話でだいたいこのくらい。彼は頭がいいからもうちょっとまともな感じで言ってたはずなんですが、ぼくに理解できる範囲ではそんな感じとしか言えねえ。このあと自分でネットで調べたところによると、さきに書いた教義の根本みたいなところはあいかわらず理解しがたいのですが、そのほか細々した日常的な道徳がそこから導出されるという形になっているようです。例の会報みたいなのはそっちを主眼にしているんだそうで、トイレにでも置いといて、手持ち無沙汰なときにでも読んでみてね、いいこと書いてあるからね、みたいな。ふだんから人助けしましょうね、人は敬いましょうね、みたいな。まったくなんのことはない話しか書かれてないっぽいんです。
 だから逆にいえば、ちょっとヘンなのはその宇宙観だけで、それを除けばそんなに害もないのかもしれない。コアに信じちゃった人はちょっと物持ちが良くなるくらいじゃないですか? 変わってるといえば変わってるし、田舎だと多少でも変わっているとずいぶん変わっていることにされちゃいがちではあるものの――だから彼も最初なかなか聞き出せなかったんでしょうし――日常生活を送ることができないなにかを強いられるというほどじゃなさそう。それが自分の感想です。彼が期待しているような――いや、期待していると思っているのはぼくだけで、彼じしんはべつに期待なんてしてないのかもしれませんが――でもやっぱあの目はなあ……むしろあいつのほうが危ないんじゃないだろうか……そんなヤバげな話にはならないんじゃないのと思うのですが、まあたしかに、おもしろいはおもしろいかなと、ぼくも思ったんです。


 ああ、ちなみに当然というか、ここにはその「宗教」の名前は書きませんし、上に書いた「教義」だってほんとうのものとはちょっと違います。特定が怖いからね!
 だから違うんですが、なんというか、本質的には同じ……同じつもりで書いています。そもそも理解できていないものを書き写してるんですけど、それでも、ここにエッセンスがあるにちがいないってのを要約して、そのうわっつらをちょっと変えて、そこからちょっとだけ敷衍してっていう、血のにじむ努力をしているんですよ!


 そんなわけで、とりあえずは以上でしょうか。そういう宗教を信じるようになったのが後沢のおじさんなのでした。
 なんか長くなって疲れたので今日はおしまい。


 おしまいつったって実際もう書くことなくて、大枠これで説明しおわったかと思ってはいるんですが、どうでしょう。


 そしてだから、じゃあやっぱり、おじさんのことやおばさんのことも、参照しなきゃなくなっちゃうってことなのかな? そう思ってこの一連の記事を書きはじめたことを、ぼくはここに白状するわけです。信じてるわけじゃなくて、べつに、ぼくが参照しなくたっておじさんのああは残るでしょって――だって信じてるわけじゃないから――思ってるんですけど、だけどまあ、念のため、ね。そもそもこの話、残すとしてそれが電子データでオッケーなものなんだろうかって疑問もあるよな。だったらそんなもん、いまの世の中、どうとでもやりようがあるんじゃないの……って考えると、やっぱダメなのかな、まあどっちでもいいんですけど。
 それに、仮に電子データでオッケーだということにしたとして、おじさんは、こうやって書いてほしいと思うんだろうか。こうして僕が書いたことを知ったら安心してくれるのでしょうか。もちろんおじさんに「インターネットに書きましたよ」なんて言うつもりはありませんけど。どう思います?


 ただ、こうやって書き残すことができるのは――半年前の話であってさえ!――思い出であって、そうした思い出はやっぱり、思い出すことによってどうしても変容してしまうし、逆に思い出さなかった部分はどうしたって薄れていってしまうんだから、それでほんとうにああが消えずに残ってくれることにはならない気もしてしまいます。電子データだからとかそういう問題でさえなく。それどころか、例の教義に立ち返って考えてみると、こうして書かれたものはもはや思い出それ自体ではない、その瞬間にまさに思い出されつつある鮮明な、あるいは曖昧なイメージだけが「思い出」と呼べるのであって、いちど書き残されたならば、それは思い出とはまったく違うなにかになり、さらにはそうして言葉として書かれてしまった以上、そこから鮮明な、あるいは曖昧なイメージが立ちのぼることはなく、宇宙の束みたいなものが読みとられる対象として矮小化されてしまうのだから、なお悪いことなんじゃないだろうか。
 でもさあ! そうやって変わってくものを一時的にでも固定しておかないとさあ! やっていけないんだよ! 人生なんてさあ!


 あるいは、そうやって変わっていくことが残ることなんだよっていう考え方もあるんでしょうか。ここまで来るともはや新興宗教とか関係なく、たんにぼくがおじさんのことが意外と好きなだけなんじゃないってことになっちゃうのかもしれないんですけど。
 どっちにしたって、ぼくは、おじさんの信仰のことなんてまったく信じていないし、今後だっておじさんに尋ねるつもりはないんだから、結論の出ない話ではあるんですけど。おじさんのことが意外に好きかどうかってことくらいは結論を出そうとしてもいいのかもしれませんけど、やっぱうっとうしいんだよなあ。


 今回は、ここまでの話をまとめる。なんだったら、最初からこれを書いておけばよかったんじゃないかなんて思われるかもしれないけれど、そういうわけにもいかない。なぜって、ここまで書いたことはぜんぶうそだからだ。


 浜村龍一って誰だよ。誰だよって思った? ググった? ググったあなたはいい人です。これたぶん『枯木灘』に出てきた龍造だな。もとは司馬遼太郎のつもりだったはずなんだけどぜんぜんイメージちがうじゃん。なんで中上なんだ。
 あとあれ、葬式の風習。あれだってそもそもそんな遠くから投げたら血が壁に付くわけがない。それよりさきにそこらへんに散ってまうに決まっとるやんけ。半袖シャツの友人だってそう。今でも付き合いのある友人なんていないし、なんなら頭悪そうに煙か土かだなんてのたまってたのは自分だ。
 覚えていないなんて書いていたことだってとうぜんうそで、つくりだすのがめんどうだったからにすぎない。けれどむしろ、この点に関してぼくは賞賛されてしかるべきじゃなかろうか。目にしたすべてのものごとを限りなく細部まで記憶しつす人間としてぼく自身を描写しなかったんだから。


 で、うそだったんだけど……うーん……思ったより劇的なもんでもないな……「まあそうだよね」って感じなんじゃなかろうか……。
 「いやおれぜんぜん信じてたよ!」っていうあなたはいい人です、ありがとう。
 でも、だから、こうやって何日もかけて、誰かに喋る――っていうか、実際には書いて、読んでもらう――ことを想像しながらでなければぼくにはつくりだせなかったからそうしたわけだけど、何が言いたかったかということを、うまくお話にしてまとめるだなんてそんなことは無視して、そんなまだるっこしいことはせずに、もっと手荒でダサい感じで、書かなきゃならない気がする。偽りはいらない、言い訳は聞かない、ってなもんだけども、でもぼくがこのシチュエーションでそんなこと言ったってもうそれ自体かっこわるいんだけども、でもそもそもこういうこと言いはじめるの自体やっぱヤだし開き直りってなもんだけども、でも続けるしかないんで続けるんだけども。
 ……だからそれにあたって、とりあえずここまでの話をまとめようと思う。こんな感じ。


 ぼくにはおじさんがいた。酒の席ではこうるさいけれどおおむねいいおじさんだった。あるときその妻であるおばさんが、交通事故で死んでしまった。それからしばらくして、おじさんはちょっと妙な信仰にめざめた。その教義によると、おばさんのああとやらをこれからも保っていくために、いろんなものを捨てず、残して、維持しつづけなければならないらしい。


 そしてここでの問題はおそらく、おじさんの信じていたとされる教義だ。
 よく考えてみると、むしろぼくがこうやって記述の総体をうそとして参照する一方で、おじさんをこうして参照しなければ、おばさんのああはなくなってしまう、というか、もとからなかったことになる――誰にも参照されないものとしてああしない、それどころかああしない状態でさえない状態であることになる、という意味では、むしろ「うそ」ではないということにはならないだろうか。もちろん能動的に「走査」みたいなことをする神さまはやはりいないのだけど、少なくともおじさんの目的にはかなっている。
 そしてそれはたまたまそうなったわけではなく、ぼくがそれを念頭に置いてこれらを書いたのであれば、もうそれは偶然ではなくて、なんらかの寓意をもった必然になるのだけれど、なんだかそれもいやらしいな。いやらしい! でも、前回書いたとおりのことがここで起こっているとは言えるんじゃないか?
 いや、それって「うそ」の使い方がじゃっかんズルくない? あるいはああって語を都合よく使いすぎてない? おそらくこうして参照できることとああするってこととはちょっと違っていて、それをうまく腑分けして考えればすっきりするだろうし、真偽だってうまい弁別の方法があるはずなんだけど、だけども、そこでぼくは、「それらを同一視したフリをしてください」と、ほかでもないあなたにお願いしたいのか。だから全部飲み込んでくださいと。


 いや、それこそうそだね。うそであろうがなかろうがそんなことはどうでもよくて、おじさんやおばさんがああしていようがしていまいがそんなことはどうでもよくて、こうやって錆びついた車輪――おばさんの自動車の残骸からおじさんが拾って、後生大事にするであろう車輪――から苦心惨憺なんとか想像を広げようとするさまを、そんな涙ぐましい努力をするぼく自身を見せたかっただけなんじゃないか。とはいえそれだけじゃ――ぼくだってりっぱにああする人間だから!――申し訳ないとも思うから、ぼくはいまここにきてようやく、このうそのうそのなかで、こうやってやってきたからこそ、おじさんの信じる宗教の、ちょっとおもしろい話を、それほど長くももたなかったこの新興宗教のなかでのできごとを、書くことができるのだから、だからもうちょっとだけ付き合ってほしい。ぼくには思い出すという形でそれができるのだから。


 いやしかし、ほんとにおもしろいのかな。


 おもしろいと思ったのは、そう、どうも未来、一度だけ――そのあとは衰退していくだけなので――その宗教のなかで宗派の対立が起こったらしいんです。宗派っていうか、べつだんそんな大きい組織でもありませんから、仲間割れっていうか、教祖の人とその右腕みたいな人との間での派閥争いみたいなことがこれから起きます。中の人にしてみればそれなりにシリアスなできごとではあるはずですが、はたから見れば、なるほどしょうもないけど気になるよねという感じで読めるのではないでしょうか。実際のところ、中の人にとってもたいしたもんじゃなかったみたいですけど。
 さて、争点になるのは、例の「走査して消す」という神さまの作業についてです。走査する段階で、根を張ってるものからああへのつながりをたどって、たどれなかったああを消してしまうというおおまかな流れについては同じなんですが、もうすこし詳しく見てみると、どうもその宗教のなかでああを「整理」する方法についてふたつの見方が出てくるらしいんです。
 まずひとつは、走査の段階でたんじゅんに印をつけて、最後にその印のついたああをいっせいに消してしまうという方法。そして、あとから出てきたああについてはその空いてる場所に押しこめていく。もうひとつは、走査する前にいったん別の宇宙をつくっておいて、走査しながら、根を張っているらしいああをそちらの新しい宇宙のほうへと次々移していき、それが終わったらば古い宇宙ごとぺっと捨ててしまう方法。あとから出てきたああはもちろん新しい宇宙のうしろのほうへと積まれてゆきます。
 ここでは前者をA、後者をBとしましょう。Aはまあ、単純な方法なんですけど、ああのデカさみたいなのが個々でちがったり、とうぜん消されるああ消されないああにはばらつきがあって、消されるにしたっていろんなタイミングがある。そのせいでうまく詰め込めない。効率の悪い? 詰め込み方になってしまうらしい。だから定期的にもっとデカい規模での掃除みたいなのが必要になってくる。なんか窮屈になってきたなってなったときに、ああが積まれる位置からしてガラっと調節されてしまう。いっぽうBはそうやってひんぱんに移しかえているおかげで、新しいああが出てきたところできれいに詰め込めて効率がいい、いいんだけど、そもそもふたつの宇宙を用意しなきゃならないし、移しかえるのだってそれなりに面倒でけっこうたいへんだと。
 ここで「効率」とか「整理」とかいうのがちょっと理解しがたい概念として出てくるのですが、直観的には、ある種の物語として提示しやすい形にすることが、どうもその目的ではあるとのこと。目的からいってみればどちらの方法をとってもよくて、(なんか知らん神さまのなかでの)メリットデメリットがどっちにもあるよね、トレードオフだよねという話でしかないので、こうやって傍観者としての立場からいえば、そんなもん好きなほう選びゃええやんとなってしまうんですが。たしかに信じてるんならどっちかには決めてほしいような気はしますよね。
 そんなわけで教祖はAの立場、側近ぽい人がBの立場にわかれて派閥争いをはじめました。この先はじめるのです。最中、教祖の人はあまりのストレスにキンタマが冷たくなりすぎて、性的に不能になりました。それどころか、あまりに冷たすぎてオナニーなんてしようとしたときにゃ、手がキンタマに貼り付いて凍傷になってしまうほどになるのです。
 これがどう解決される(予定な)のか。どうもその教祖の人、これは教祖であるからには神さまから直接に啓示を受けた人でもあるんですが、その人は、走査しているときに「時間が止まっている」はずのところを、この目で見られる、ないしは感じとれるんだと言いはじめる。それまで、つまりいまはそんなことひとことだって言っちゃいないのに、言いはじめることになる。当然ながら、宇宙が複製されてるのなんて見たことがないって言い張るわけです。側近ぽい人はじゃあ証拠見せてみろやと言うけれど、そもそも証拠もなにも、教祖がそう言ってるんだからと教祖の言をうまいことまとめて、みんなに広めはじめたのはあなたじゃないですかって話なわけですよ。でもまあ、下々――っていうほどそんなちゃんとした信者のベースがあったわけでもないんですけど――はどっちが正しいのかよくわからんからどうにかしてよとなる。というよりあんま上のほうでゴシャゴシャされると嫌よねと思うことになる。その教義問答でどっちにつこうが信者たちがすべきと考えるものはとくに変わらないんですから。だからめちゃくちゃ教義問答に参加してえってなってるごく近い周りの人だけがワイワイ酒飲みながら盛り上がってる状況になって――それ、仲いいんじゃないか?――いっぽう会報とか作ってる人はそんなんほっぽって、今号の教祖のひとことは休載しますとかなんとかお茶を濁して総集編を出したりする始末。とはいえそんな状態でずっとやってるわけにもいきませんから、しかたありませんね、どうやら昔々、ああの総量に余裕があったころにはBの方法をとっていたんだけど、そのうち余裕がなくなってきて神さまも困って、んじゃまいろいろめんどいことはあるけれど、いったんAの方式にしてしのぎましょうってことになっていまに至る。そんな玉虫色の解決を見せることになる、予定です。
 そうして彼らは、神さまのお話として保存されることを良しとせず、自分たちの係累を残しつづけ、増やしつづけ、ついには乱雑さという反乱を起こそうとさえする、そしてそれを阻止したのはほかでもないあの半袖の彼なんですが、それはもっともっと先の話。


 未来を過去形で喋るための言葉づかいが日本語にないから、なんだかすごく書きづらい。
 そして明日はおばさんの一周忌――っていうか、一周忌って、おじさんの「宗教」ってそのあたりはこだわりないというか、そこは関与してこないんだな――なので、ちょっと顔出してくる予定です。


 事前に別の用事があったせいで遅れての到着だった。坊さんの読経がじきに終わると見えて、それなら途中で割って入るのも無作法だろうと、玄関先で煙草を喫いながらしばらく待つことにした。昨日まではまだ夏というほどでもなかったのが、今日になって突然に蒸し暑くなったようだ。車のなかでは空調のおかげでなんともなかったけれど、外は蝉の声がひどくうるさい。それが汗を吹き出させ、ふわふわした心地にもさせる。こんな機会でもなければ運転なんてすることもない身の上だから、そのせいもあったのだろうか。それとも昨晩遅くまで起きていたからというだけのことか。
 三本目を喫いながら、もう煙草はたくさんだと思っていたところに、家のなかからばたばたと聞こえて、これから墓まで参るということだった。つっかけを履く俊一兄さんに「遅うなってもた」と軽く頭を下げ、坊さんについて歩きはじめる。俊一兄さんと話しつつも、おじさんに挨拶しようか、いや最後尾についているし後でもいいかと迷いながら、裏山に向かうあまり良くない坂道を上る。蝉の声はいよいよ大きい。
 坂を上っているうちに墓地に着いた。ここへ来るたびに思うのだが、墓地にしてはずいぶんと眺めの良い場所である。眺めが良いのはいいが、後続の連中はのろついてしばらく着きそうもない。俊一兄さんと話しているうち、ひとりでに足が早くなっていたのだろう。その俊一兄さんとこれ以上喋るのもおっくうだったから、目を合わせいかにも了解をとったふうにして、それぞれ墓地のまわりをぶらつくことにした。
 裏山の中腹あたりは段々として、その段ごとに畑と墓地がまばらになっている。畑はともかくめったに手入れなどしないだろう墓地のまわりはこの季節らしく背の高い草だらけで、足もとを撫でる手つきの愉快ならざること! 手持ち無沙汰にやはり煙草を喫いながら、草の間、骨ばかり残った雀らしい死骸のわきに空き缶を見つけた。放っておくわけにもいくまいと、拾って、両手を塞いだ。熱された空き缶の手ざわりが何年経ってもふとした拍子にぶり返してくる。這い出したばかりの蝉がめいっぱい鳴いているせいで、もうすっかり夏になってしまったのかもしれなかった。向こうに見える山、その上にかかった雲も、急ごしらえで入道雲の形をとっているように思われた。そうしているうちに後続が到着しかかった様子で、あんまり遅れると見栄が悪かろうと、吸殻を缶のなかへ放り込んで、おばさんの入る墓へと戻った。
 戻って、墓地のわきで神妙な顔をしたべつのいとこに、もうみんな着いただろうかと尋ねた。聞こえなかったか、自分への呼びかけでないと思ったか、それともなにかに気をとられていたのか、彼は卒塔婆のあたりを向いたままぴくりともしない。きまりの悪さが腹立ちまぎれになってきたところでおじさんの到着となった。じゃらじゃらと身に付けているものは多く、ああこれが例のと得心がいきつつ、しかしどの「例の」だったろうか、なにか思い出してはいけないものが喉もとまで迫っているような気がして、周りを見ると、誰も気にしていないのか、それとも気にしていないふうを装っているのか、けったいな姿をしたおじさんを先頭に、線香をあげる列のようなものができているような、できていないような様子だったから、その曖昧な列のうしろについて、前方でしずしずとおこなわれる曖昧な儀式を眺めた。風が吹いてきて、すこし涼しくなったようだった。このあと坊さんがまたここでお経をあげるのだったか。ふわふわした心地はいつのまにか収まっていた。
 そうして自分の番がきた。空き缶をそこいらに放り(カコン、と小さな音がした)、線香を二本手にとって、ぼんやりと火をつけ、ぼんやりと振って、ぼんやりと香炉に刺す。あれだけうるさかった蝉の鳴き声が知らないうちに止んでいる。太陽が雲に隠れてしまったからか、吹き下ろすひやっこい風が、煙を、匂いを、家々に向かって運んでゆく。手を合わせて目をつむる。まだおばさんのことを覚えている。あの珍妙な格好をしたおじさんのおかげだろう。それじゃあ安らかにと、拝み終わって――遅れてきてしまったのだから、その埋め合わせとでもいうように、ちょっと長めに拝んで、その姿をアピールしておくのがコツなのだ――目を開けた途端にひときわ強い風が吹き、耳のなかが通ったように蝉の声が響く。
 それから墓地のわきへとまっすぐ戻ると、さっきのふわふわした心地もまた戻ってきたらしかった。これからこの暑いなか、退屈な読経を聞かなければならない。さっき見たはずのおじさんの、ちぐはぐな見かけはどこへやら、いかにも「物語読まな」とやかましくなりそうななりをして、しかしそういうものなのだろう、だってああああはやっぱりもう(一年も前から)いないのだから。


 次回はぼくがみつけた物語理論――物語理論については別掲の文献を参照――の話をします。直観的に言えば、虚構場の理論において極小間隔ごとに起こるある事象――今回の論文では比喩的に garbage collection と呼んでいます――を仮構、ないしはそれにあたる操作を導入することで、ある種の発散に関する困難が避けられ、よりすっきりした定式化が得られるという感じなんですが、詳しくは次回ですね。先にプレプリントへのリンクを貼っておきます。こちら です。


本稿冒頭部分の引用は右記より:グレアム・プリースト『存在しないものに向かって――志向性の論理と形而上学』久木田水生・藤川直也訳、勁草書房、二〇一一年

物語理論についてより詳しく学びたい読者は、右記より始めることを勧める:敷島梧桐著、cydonianbanana註「望郷」『廻廊』ねじれ双角錐群、二〇一七年